幕末志士伝
今の日本の土台を創った志士たち


会津藩(出身藩士)
会津藩主長岡藩士・松平容保
会津藩主松平容保(まつだいらかたもり)
1835年〜1893年
1835年 美濃・高須藩主松平義建の六男として誕生する。
1846年 会津藩主・松平容敬の養子となる。
1852年 松平容敬死去により、会津藩・藩主となる。
1862年 京都守護職に任命される。
1863年 初めて参内する。
1867年 京都守護職を辞職する。
1868年 藩主の座を養子の喜徳に譲り会津に帰国する。
1869年 慶三郎が誕生する。
1871年 自宅謹慎が命ぜられる。
1872年 自宅謹慎が解除される。
1880年 五代東照宮宮司就任する。
1893年 12月、死去する。

会津藩家老西郷頼母(さいごうたのも)
1830年〜1903年
1830年 会津で生まれる。
1862年 家老職を拝命する。
1863年 京都守護職を反対し家老職を罷免。
1868年 鳥羽・伏見の戦い勃発。家老職復職。
1869年 函館五稜郭で戦うが降伏し、幽閉される。
1872年 伊豆の松崎で謹申学舎を開く。
1899年 会津に戻る。
1903年 死去する。

会津藩家老神保内蔵助(じんぼくらのすけ)
1816年〜1868年
1816年 会津で生まれる。
1862年 京都守護職の共として京へ上洛する。
1863年 家老に就任する。
1864年 禁門の変では天王山に立て籠もっていた志士・真木和泉を新撰組と協力して自決に追い込んだ。
1867年 大政奉還される。
1868年 戉辰戦争敗戦後、土屋邸で、同じく家老の田中土佐と刺し違えて果てた。

会津藩家老佐川官兵衛(さがわかんべえ)
1831年〜1877年
1831年 会津で生まれる。
1866年 京都守護職に就任している松平容保から召されて上京
1868年 鳥羽・伏見の戦い
1870年 敗戦後禁固刑の後、斗南へ移住
1874年 警視庁に勤める
1877年 西南の役にて戦死

会津藩家老梶原平馬(かじわらへいま)
1843年〜1889年
1843年 内藤信順の次男として誕生
梶原家の養子になる
1862年 松平容保に従って大目付として上京
1871年 敗戦後禁固刑の後、斗南へ移住
1871年 北海道へ渡り農業をする
1889年 死亡する
会津藩士秋月悌次郎(あきづきていじろう)
1824年〜1900年
1824年 丸山胤道の次男として生まれる
1833年 日新館に入学する
1846年 昌平坂学問所に入って学問を修める
1862年 会薩同盟を成立させる
戌辰戦争
1868年 終身禁固刑になる
1900年 生涯を閉じる

会津藩士柴四郎(しばしろう)
(1852年〜1922年)
1852年 柴佐多蔵の四男として誕生
鳥羽・伏見の戦いに会津藩士として参戦
1877年 西南戦争に政府軍として出陣
アメリカ・ハーバード大学・ペンシルベニア大学留学
代議士として活躍する
会津藩士柴五郎(しばごろう)
(1860年〜1945年)
1860年 柴佐多蔵の五男として誕生
長岡藩士河井継之助(かわいつぎのすけ)
(1827年〜1868年)
1827年 河井秋紀の長男として誕生
1842年 元服して継之助と称す
1850年 すがと結婚する
1864年 公用人に任じられ江戸に上る
1868年 家老職に就任する
1868年 北越戦争勃発
1868年 会津領にて死亡